2013年6月25日火曜日

日本建築史⑧_住宅建築

過去問は、
問題コードが赤字のものは×問です。簡単に解説をつけておきます。詳しくは合格物語へ。

寝殿造り
寝殿造りの遺構は残ってないので、東三条殿(藤原氏の居宅)復元平面図くらい。何だか中学校の社会の問題?みたいです。
05255
「渡殿」と「書院造り」とは,建築要素と建築様式の組合せとして正しい
(渡殿は寝殿造りの建築要素
05254
「中門廊」と「寝殿造り」とは,建築要素と建築様式の組合せとして正しい
22024
「寝殿造り」の特徴として,寝殿の左右や後ろに造られた独立の住屋は,対屋と呼ばれ,渡殿で連結されている

書院造り
書院造りが徐々に成立していく過程はあるのですが、
室町時代の金閣(北山)・銀閣(東山)が源流で二条城二の丸御殿で完成。
そこに茶室の数寄屋風が加味されて桂離宮の新御殿(桂棚がある)などもつくられるようになったということくらい。
個々の事例は過去問の範囲でいいかと思います。

11251
金閣は足利義満が造営した北山殿の一部であり,最上層を禅宗様仏堂の形式とし第2層に和様仏堂風・初層に住宅風の建築様式を用いている
19242
鹿苑寺金閣(京都市)は,方形造りの舎利殿で,最上層を禅宗様仏堂風,二層を和様仏堂風,初層を住宅風とした三層の建築物である 
11253
金閣や銀閣は,敷地の南側の庭や池を「コの字型」に囲んだ寝殿造の建築物のうち,釣殿が残ったものである
(金閣は舎利殿、銀閣は観音殿、いずれも楼閣建築
11254
金閣や銀閣が建てられた時代には,能楽・茶の湯・生け花・連歌・水墨画.・枯山水の庭園といった日本の伝統文化がその形を整え,建築にも大きな影響を与えた
11255
金閣や銀閣が建てられた時代には,武家住宅に床の間・違い棚・付書院などの座敷飾りが用いられるようになり,書院造が発展し今日の和風住宅の原型が形成された.
04252
慈照寺東求堂の同仁斎は,四畳半茶室の起源といわれる
11252
銀閣と同じ敷地に建つ東求堂(とうぐどう)の同仁斎(どうじんさい)は,現存する最も古い違い棚と付書院をもつ「四畳半」である
17243
竜吟庵方丈は,東福寺の塔頭であり,現存する最古の方丈といわれている
17241
光浄院客殿の平面は,「匠明」の殿屋集に描かれている「主殿の図」とほぼ同じであり,桃山時代の標準的な武家の住宅の形式を示すものと考えられている
04255
二条城二の丸殿舎の黒書院には,押板床・違棚・付書院をもつ上段の間がある
16255
江戸時代における居住施設に関して,武士の住居には,主として,書院造りが用いられ,二条城二の丸御殿の白書院,黒書院等はその代表例である
(問題文の平面図は東三条殿(寝殿造り)の復元平面図
13252
西本願寺飛雲閣(京都府)は,外観,内部ともに住宅風に造られており,軽快で奇抜な意匠が施されている

茶室
09252
妙喜庵待庵は,小堀遠州作の書院茶室である
待庵は千利休作と伝えられる草案風茶室、小堀遠州作の書院風茶室は弧篷庵忘筌
 ってる利休れる遠州 H25語呂大賞:by wo-maw
16253
江戸時代における居住施設に関して,寺院の塔頭等においては,茶室を設ける場合があり,如庵は,京都の建仁寺内に織田有楽斎が建立したとされる
04254
大徳寺の孤蓬庵忘筌は,小堀遠州作の茶室である

数寄屋
09253
桂離宮は,江戸時代に造営された数奇屋造りの代表例である
16254
江戸時代における居住施設に関して,公家の社会においては,王朝文化を反映した別荘等が造営され,桂離宮はその代表例である


オマケで城郭
13253
姫路城(兵庫県)は,小丘を巧みに利用して構築された平山城で,優美な外観が特徴である
(日本人の)常識の範囲の問題かな。(→参照日本建築史②_神社建築)

民家
08251
江戸時代に建設された岐阜県白川村の民家は,合掌造りとよばれる
10253
1995年に世界遺産に登録された白川郷・五箇山の合掌造りの集落においては,周辺の耕地や山林を含めた範囲を指定することにより,全体としての環境保存が図られている
16251
江戸時代における居住施設に関して,農家は,地方により架構や平面が異なり,東北地方の南部曲り家においては,馬を家の中で飼育できるようになっている
16252
江戸時代における居住施設に関して,商家は,町家の一つであり,今西家(橿原市今井町)のように,表通りに面し,片側が土間で奥に座敷を設けたものがある

民家はいろいろありますが、出たのは白川郷の合掌造り、これは知っているかどうかだけの常識問題。
民家の形式を問われたものは南部曲り家(農家)と今西家(商家)のみ。
16251の図は(たぶん)遠野の旧菊池家・・南部曲り家
平面形式としては一般的な長方形平面の直屋(すごや)であった主屋にうまやをL字型に突出して接続させたもの。雪国(秋田・山形・新潟〜会津)の中門造と見た目は似ていますが、曲り家の突出部はうまやで出入口は入隅部にあります。
今西家は今井町(寺内町(じないちょう)として成立)惣年寄の家で、今井町は「重要伝統的建造物群保存地区」にもなっていますが知らないとどうにもならない。
ただ、こういうもの(新問)は正答枝(×問)にはなりにくい気もします。

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